またいつか

大大大好きなハ/イ/キ/ュ/ーが終わっちゃった。
8年半分のたくさんの思い出があって寂しい。
最終回素晴らしくて何度も読み返しているけどその度に寂しくなったり嬉しくなったりする。(応援ありがとうございました!次回作にご期待くださいっていう煽りを作品の演出に使う漫画を初めて見て感動した)

初めて読んだのは兄に「ジャンプですげー面白いバレー漫画始まった!」って1巻をむりやり読まされた時。私も兄も中学生のときバレー部だったこともあってすぐに夢中になって一緒に並んでアニメも見てた。1期9話と16話では2人して大泣きした思い出も。。
もうすっかり会わなくなった友人と関連イベントに行ったりJワールド(懐かしい)に何度も何度も通ったのも、楽しかったな。部屋の中が音/駒グッズで埋め尽くされたりした事もあった。(研/磨くんの等身大タペストリーは今もある)

次にジャンプを買ったら、もうハ/イ/キ/ュ/ーは載っていないんだと思うと寂しくてたまらなくなるけど、いつかまたどこかで会える事を祈ってこれからも大切にしたい。




あと夏だからまたお/お/振/りを見返しています。
今年の夏はどこへ行ってしまうの。

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すきとすき

誰も見てないからネタバレたくさんではいきゅ最新話について。

地球の裏側で修行してる日向を経済的に支えてるのがまさか研 磨くんだとは。。この一年で一番びっくりしたし、ひなけ んが大好きな自分としては最高〜!って思ったけど、研 磨くんが日向のことをバレー選手として面白いと思っていたわけではなくて(もちろんそれもある)人間として、友人として、日向という存在や人生が面白くて興味深くてまるで趣味みたいな感覚で観察しているというのがなんだか嬉しかった。
しかも、「つまんなくなったらやめる」と言いつつ日向がつまんなくなる事なんてないと信じているんです。彼は。


ひ なけんってお互いを必要としてるかというとそうでもなくて、興味の対象として認識していただけなのにいつの間にか自分の人生のすごく大切な部分にお互いが触れていて不思議。まあ単純に波長が合うのだろうし、研 磨くんは日向の底の底にある孤独や劣等感に気付いていたのではないかなーと思う。
日向の負の感情って原作でもほっっっとんど描かれていなくて、その意図を考えていた時期もあるけど日向がそもそも表に出さない人間なのだと分かった時、高校生でその生き方しちゃうの?って苦しくなった。
でもその表に出てこないきっついなーって部分を研 磨くんがなんとなく感じ取ってくれているなら別に励ましの言葉なんてなくても救われているよね。



研 磨くんはもうバレーボールをしない、と、ふるだて先生自らおっしゃっていて、まあそうだよな〜しないよな〜って思うけど分かってるけどやっぱり悲しいし寂しい。大人になった彼を見るとなおさら。でも輝ける場所があるならそれは幸せなことだし・・・。


そうそう、わたしははいきゅの子達と同世代らしいです。クロや大地さんや大王 様と同い年!研 磨くんや龍や青根はひとつ下。
学校にあんなに格好いい子達が必死にバレーボールしてたらすぐ好きになっちゃっただろうな〜〜。は〜。

明日も仕事だ。

成し遂げない日

6時半にセットした目覚ましよりも15分早く起きた。顔を洗って歯を磨いてパジャマを着替えて、6時40分。今年25歳になるのに未だにうまくお化粧ができない。日焼け止めを塗って軽くクリームを塗って眉毛を整えて終わり。恐ろしいけれどそれで限界。中途半端な容姿をしているせいで、容姿に関しての興味が持てない。自分に似合うものも別に分からなくていいと思う。

今の職場に就職してからバス通勤になった。片道15分。なんてことない景色を見続けると終点に着く。道行く人たちはどうして浮かない表情に見えるのだろう。きっと私も浮かない表情をしているのだと思う。たいして好きでもなければやりがいも感じない仕事をこなすために浮かない顔をして職場に行き、浮かない顔をしたまま家に帰る。ふとした瞬間、わあっと叫んで逃げ出したくなる。でも理性は意外と優秀なのでわあっと叫ぶことなく1日が終わる。叫ぶことのなかったわあっがお腹の底に溜まっていくのだけ感じる。そんな1日がもうずいぶん過ぎた。

振り返った時眩しく愛しい記憶が私も欲しいのに、といつも思って気づいたら眠りにつき、またお腹の底に溜まったわあっをどうしたら良いかわからないまま眠りにつく。

 

正しさのつながりとは。

夜が眩しい

自分の言葉をどこかに綴りたいと思う時いつも絶望的な気持ちでいる。

靄がかかったように鮮やかな日常が失せ、こもったような音が聞こえるだけの世界。辛い、苦しい、そんなところを見下ろして静かに傷がついていくのを感じる。何も聞こえないことが怖くて力一杯頭を叩くと鈍い痛みが広がって、存在していることが怖くなる。もっと鈍感にならないといけない。

毎日少しずつ理解することができなくなっている。何もいらないのに悲しい。愛だけあればいいって本気で思う。与え続けるだけでいいから痛いのは嫌だ。もうずっと、黒くて小さな部屋の中でしか息ができない。

日記1

どうしようもなくなって、身の回りのものを目につくものからどんどん捨てていった。高校の時にすごく好きだった友達から借りたままの漫画やCDも、もう二度と会わないだろうし連絡先も知らないしいいかと思ってゴミ袋の中に突っ込んだ。

高校2年の時に始めて彼女の家に行ったとき、私は押し入れの中に詰め込まれた漫画を読み、彼女は色の濃い麦茶を飲みながらギターを弾いていた。古い団地の女子高生とは思えない殺風景な部屋で、何故か安心したのを覚えている。高校卒業後一度だけ会い、餃子を食べながらその時好きだった男の子やバンドや漫画についてポツポツ話し、さよならは言わずに別れた。帰り際「あなたと過ごす時間がすごく好き」だと言われ、私もだと伝えたけれど彼女とはそれっきりになってしまった。数年前にフェイスブックで都内のダーツバーで働いていることを知ったけれどどうしても連絡できず、いつの間にか彼女が今どこで何をしているのか分からなくなっている。借りたままの漫画もCDもあの部屋で過ごした時間がいつまでも流れている気がして開くことすらできなかったけど、記憶がどれほど優しくても日々の生活より大切なものなんてないと気づいてしまった。というか、やっと気づいた。私は私の生きやすさや生活のためにあの時間を捨てる。今の自分には優しすぎるから。